世界的不況の中にあっても、順調なGDP成長を遂げている国の一つにインドネシア共和国があります。
メダン市はそのインドネシア・北スマトラ州の州都です。市川市との連携は、1984年(昭和59年)から始まり、数々の交流実績を経て1989年(平成元年)9月、市川市議会は両市の姉妹都市締結を全会一致で議決し、同年11月にメダン市長を団長とするメダン市代表団を迎えて姉妹都市締結に関する盟約書の調印式が行われました。
風光明媚な観光地メダン市
1860年代にオランダのたばこ会社が進出してから急速に発展し、周辺地のタバコ、ゴム、茶、アブラヤシなど産物の集散地として繁栄。現在は石油の積み出し港、ベラワン港を擁し、スマトラ島最大の交易の中心地、重要な商業都市として発展しています。市内には歴史的史跡としてマイムーン宮殿やラヤ・モスク(回教寺院)があり、また市郊外にあるトバ湖周辺は風光明媚な観光地として知られています。
両市交流の歴史
青少年の相互派遣交流を盛んに行っています。市川市からメダン市へはこれまでに7回実施されました。また、メダン市からは今回(2012年8月)が12回目となりました。これら交換交流を通じて互いに文化、歴史、風俗などの違いを知り、その上で理解を深めてきました。ちょっと珍しい交流としては、1992年(平成4年)、メダン市から2頭のオランウータンが寄贈され、その後2頭が生まれて4頭家族となり、市動植物園の人気者となっています。
現在のメダン市動画
歴史的建物、インドネシア料理、果物、伝統工芸など現在のメダン市の様子です。
以前メダン市を訪問したことがある方達には、懐かしい町並、楽しそうなインドネシア人達を思い出されると思います。クリックしてご覧下さい。
1930年代のメダン市動画
1930年代(90年前)のメダン市民の様子が映った動画です。市川市民団が訪問した懐かしいマイムーン宮殿、ラヤ・モスクなども映っています。オランダの会社が進出して経済が発展していたためか、人々の服装はきちんとしています。また、90年も前なのに、自動車が走っているのに、驚きます。どうぞクリックして見てください。
「トバ湖」が世界ジオパークに認定
1) 聾学校への補聴器寄付
日本で中古となった補聴器を再調整してメダン市の聾学校(2校)へ医師の派遣とともに補聴器の寄付を行ってまいりました。
この事業により多くの聾唖者が救済されていますが、大きな費用が必要であるため決して充分とはいえない状況にあります。
2) 奨学金の寄付
経済的に恵まれない子供たちの教育支援事業として奨学金の贈呈を永年続けてきましたが、資金源の確保に難航し現在は休止しております。
3) 災害支援事業
2004年12月に発生したスマトラ島沖地震ではメダン市はじめ近隣の都市が想像を絶する大被害を受けましたが、市川市国際交流協会関係者が全員で駅頭募金活動などにより獲得した災害義援金をメダン市の国際交流協会に贈呈しました。
4) 青少年派遣と受入れ
他の都市と同様に青少年の夏休みのホームステイ事業を継続しております。
5) 柔道着の贈呈
運営資金に苦労している民間の柔道学校へ中古柔道着の贈呈を行ってきました。これは市川高校のご支援によるもので、卒業時に不要になった柔道着を譲り受けメダン市に送っています。
過去のイベント
オンライン全体会「梅田氏に聞くメダン最新情報」
2022年3月13日インドネシア在住の梅田治雄氏より聴取。メダン市ではコロナ感染者が外出できないときは、食べ物を配りあい、学校は自宅でのオンラインのみ。
北スマトラ州では、ワクチンはシノバックス、モデルナ、ファイザーの3種類。ワクチン証明書が発行される。 新メダン総領事と、日本人墓地に同行。 メダン市交流協会は新役員を選び、市川市との交流を続けたいとのこと。
全体会で、今年度の活動報告、会計報告、来年度の活動予定の説明があった。
インドネシア語で話してみませんか
市川市とメダン市姉妹都市30周年記念行事に参加するため、市民団は、2019年11月6日〜11日に、メダン市とジャカルタ市を訪問する事になりました。出発前の9月21日、28日、10月19日に、急成長している活気あるインドネシア共和国の理解を深め、交流の輪を広げられるようにとメダン市訪問の市民団と、訪問しない方も交え、インドネシア語の勉強会を開催しました。
先生は東ジャワのマラン出身でインドネシア大使館東京勤務の、とてもチャーミングな坂井イチャさんです。挨拶、簡単な日常会話を主に練習し、インドネシア人の生活の様子も、教えていただきました。
インドネシア大使館訪問
2019年8月23日インドネシア大使館東京を訪問し、副大使から、日本の技術で建設したジャカルタの地下鉄、スラバヤの高速鉄道など、最近5年間のめざましい発展、ジョコ 大統領がG20のメンバーになったことが披露されました。 その後参事官から、高速道路建設や、第2のハブ港としてクアラタンジュン港を拡充し、果物、農産物を産地から、新鮮なまま日本へも送りたいと話されました。 また、特定技能 ビザにより、看護福祉士などを日本に送り込むことができるようになり、日本語の学習を進めているそうです。訪問終了後、インドネシア料理店「チャベ」で、インドネシアの味を楽しみました。
2018年 劇団en塾東京公演鑑賞会
インドネシアの学生たちで構成される劇団「en塾」の日本語ミュージカルを3月29日に見に行きました。
演目は、ジャカルタ在住の日本語教師、甲斐切 清子(かいきり すがこ)さん脚本・演出・作詞の「殿様の宴」です。気弱な若殿が家出をし、芝居小屋に紛れ込み、そこで家族や世の在り方を学んでいく物語です。
団員の日本語はきれいでわかりやすく、丁寧な言い回しで、礼儀正しい男性、しおらしい女性を演じ、芝居小屋での歌舞伎、長唄、三味線などの古典芸能も見事でした。
第2部は若さが爆発したかのように、「ダンシング・インドネシア」の曲で団員たちは歌い踊りまくりました。
じゃがたらお春はあわれな生涯だったのか?
2016年11月18日、近代異文化交流史研究家の白石広子氏が、江戸幕府のキリスト教禁教のために、バタヴィアに追放された混血児じゃがたらお春の消息について講演。
昭和14年梅木三郎氏作詞による「長崎物語」の歌詞は、お春の遠い外国から日本を偲ぶあわれな様子が感じ取られますが、白石氏が、ジャカルタ、平戸、長崎でお春に関する古文書を調べたところ、教養のあったお春は、幸せな結婚をして7人の子どもに恵まれ、財をなし、とても裕福な生活をしたことがわかりました。
なぜ哀れな歌詞になってしまったのだろうか。追放女性は、哀れでなくてはならないという意識が、後世の男性にもまだ残っていたからではないかと、解説されました。
お抹茶のお味はいかが?
2016年3月19日、メダン市委員会の主催で、新浜小学校の日本語教室の修了式の後に、生徒18名、
インドネシア、中国、ベトナム、フィリピン、キルギス、ペルー6カ国の保護者の方々と、総勢40名の大お茶会を催しました。
中にはお点前(てまえ)に挑戦している人もいて、大変好評でした。
アンクルン演奏
インドネシア人千葉大学留学生を含む千葉インドネシアソサエティ22名が、2016年1月24日のニューイヤーフェスタの舞台で、竹でできたインドネシアの楽器アンクルンを演奏しました。
演奏者は美しい民族衣装に身を包み、日本やインドネシアの曲を軽やかな、また優しい音色で披露し、聴衆を魅了しました。
メダン市青少年代表団市川市訪問
メダン市から青少年代表団8名が2015年7月31日〜8月8日市川市を訪問しました。日本の高校生との交流、剣道・アニメ放送のアテレコ・風鈴絵付け、ホームステイ先での日本の生活等、日本への理解を深めてもらいました。
彼らは驚きの異文化体験を通じ、多くの思い出とともに元気に帰国してゆきました。
2015年 ハリラヤ料理
断食月が終わり、いよいよ断食明けの大祭。
世界一のイスラム教徒人口を抱える国、インドネシアのお正月を少しでも感じられたらと、7月11日、メダン市委員会員他18名がハリラヤ料理(断食明け料理)を体験しに、目黒のインドネシア料理店に繰り出しました。
断食後なのでまずは胃に優しい甘いデザートから始め、チキンのココナッツ煮、魚のばななの葉の包み焼きなど8品を試食しました。
インドネシアへ行った時の懐かしいお話をしながら、日本人の口にも合うインドネシア料理の味に参加し全員満喫しました。
2015年 イフタール
イスラム暦の第9月はラマダン(断食月)です。今年は6月18日から7月16日のひと月で、日の出から日没まで飲食を断つことが義務づけられています。断食中の日没後に最初に食べる食事をイフタールと言います。
7月4日行徳I&Iにおいて、8カ国以上500人を超えるムスリムが参集したイフタールの会が開かれました。各国の美味しい料理が所狭しと並んでおり、その種類と量に圧倒されました。食事の場所が男女別になっていることに2度びっくりしました。
ムスリムの文化を理解する必要性を肌で感じたひと時でした。
市川市派遣公式団・市民団メダンを訪問
姉妹都市締結25周年を記念して市川市公式代表団6名(団長 松永鉄兵市川市議会議長)、市民団20名(団長 笹本瞭IIA会長)は10月14日(火)〜19日(日)まで、メダンを公式訪問しました。
初日、濱田雄二在メダン日本国総領事より、インドネシアの素晴らしさ、日本からの技術投資と人材育成の重要性のお話を伺いました。夜は、メダン市姉妹都市協会(バユ会長)主催の夕食会にお招き頂きました。日本に派遣された学生たちが、民族舞踊、歌を披露してくれました。
翌日は、ズルミ・エルディンメダン市長を表敬訪問し、交流協議書調印、記念品交換後、アーヤニ公園に移動してマトアと言う木の植樹式が行われました。
夜は、メダン市長主催の夕食会が行われました。そこで、この25年間の両市の素晴らしい友好関係を今後さらに継続、強化してゆくためには、若い世代にも積極的に参加してもらうことが肝心だということを、全員で確認しました。
インドネシアの夕べ
平成元年にスタートしたメダン市との交流は今年で25周年を迎えました。これを記念して、「インドネシアの夕べ」を9月13日(土)にコルトンホールで開催しました。
在日本インドネシア共和国大使館商務部長のジュリア・シララヒさんの流暢な日本語で、インドネシアの国の説明がありました。
又、華やかなバリ舞踊も披露され、詰めかけてくださった一般市民の参加も含めて130余名の方々を魅了しました。
その後、インドネシア料理会食会が行われました。各テーブルでは、観光旅行での経験や企業派遣滞在中の思い出など、談笑がいつまでも続いていました。その中でも第二次大戦での記憶を語ってくださった高齢者の方のお話には思わず襟を正したものです。
メダン市から寄贈されたオランウータン
メダン市から1992年(平成4年)にオランウータンのオス、メス2頭が寄贈されました。その後2003年(平成15年)には第1子が、2010年(平成22年)には第2子が誕生し、市川市動植物園で両市の友好に一役かっています。